20年後のことを考えてみた
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[究極の少子高齢化社会]
20年後どうなっているかふと気になって考えてみました。芥川竜之介のように「漠然とした不安」がいつも頭の片隅にあるような気がします。誰にでもあるのかもしれませんが20年後についてじっくり考えれば不安も薄まるような気がしないでもないです。
20年後は超少子高齢化となっているはずです。社会保障費は増大して支払わなければならない税金や負担は高額となりもらえる年金は激減するでしょう。どれだけ頭のいい人がどんな対策をとっても避けることはできません。
人口が激減するれば経済が停滞するのは避けられないようです。都市を大きくするゲームでも人口を増やすことが目的の一つとなります。人口が減れば税収も落ちて国力が低下します。経済は停滞して中南米や東南アジアくらいの経済規模になるのではないかと思います。
国家財政破綻の危機というのも本格化して個人で自己防衛できないレベルになる可能性も高そうです。そんな時自分はどうしているかというと今と変わらず読書して散歩して動画を見ていると思います。それしかできないからです。
運良く生きていられればということになりますが結局やっていることは今と変わらないと思えば気も楽になります。現在まででも国家財政が破綻した国というのは時々あります。その国の国民がどうなったか調べれば参考になるかもしれません。
国民が全員餓死したとかは聞かないので何とかなるのではないかとこの点ではわりと楽観的というか無理矢理楽観的になっています。生きているだけでめっけものの精神でいるよりないと思います。
[両親もいなくなっている]
年齢的には両親も他界していると思われます。あまり考えたくないですし意識的に考えないようにしていましたが人間はいつか死ぬものだからしかたありません。両親が介護が必要になったり亡くなった時自分の人生の大きな転換点となります。
漠然とした不安の原因はこれが一番大きいです。両親だけでなく自分自身の健康もどうなっているだろうかと多少考えたりもします。現在でも病院は長蛇の列で医者不足が指摘されています。医者の先生が過労死してもおかしくないくらい休みなく忙しく働いているそうです。
現在でこうなのだから20年後はどう考えても状況は悪化しています。でもこの悩みは何歳だろうとどんな人間だろうとあるものです。20年後両親や自分がどうなっているかなんて自信を持って言える人はいないからです。
結局なるべく考えないようにして1日1日を生きていくしかない状況です。宗教の役割はそういう不安を取り除くためにあるのでしょう。信心深い人はそうでない人より幸福度が高いという調査もあると聞きました。
日本人は宗教に生活をしばられない代わりに精神的な不安や孤独を他の国の人より味合わなければならないのかもしれません。何にしても不老不死にでもならない限りこの悩みはなくならないので普段は考えないようにしています。
[VR技術とAIが発達している]
20年前は今ほどインターネットは普及しておらずスマートフォンもありませんでした。これらの技術は完全に社会を変えて人々の生活や人生を変えました。自分が子供の頃はインターネットが普及する世界など想像もできませんでした。
今から20年後にさらに想像したこともないような技術が普及すればどんな社会になるか楽しみでもあります。今既にある技術ですがVRやAIに期待しています。VR技術の向上によってもっとリアルに鳥になって空をとんだり魚になって海の中に入ったり宇宙に行ったりしてみたいです。
もともと旅行はあまりしないタイプですがVRでお手軽に旅行できるようになっているかもしれません。AIの向上には話し相手になってもらいたいと思います。生身の人間と話しているかと思うほど技術が向上すれば人間は孤独から開放されるかもしれません。
機械と話しても虚しいと感じる可能性もありますが生身の人間と話しても虚しく感じることはいくらでもあります。それに生身の人間はどれだけ仲良くなってもいつか自分の周囲からいなくなります。ドラえもんのような永遠の親友になってくれるAIができないだろうかと期待しています。
[まとめ]
人生の終わりには必ず死ぬことが待っているため冷静に自分の人生を考えれば絶望しかありませんが将来にはいろいろ楽しみなことも多いです。90代でもピンピンしている人は多いし自分も可能な限り健康に生きてポックリ死ねることを祈りながら1日1日生きていくしかありません。
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